「選択できる自由」。それを行使できる人がどれだけいるのか?

技術や製品の選択は投資なのだ
http://d.hatena.ne.jp/y-komori/20080228/1204214825


選択できる自由
http://d.hatena.ne.jp/shot6/20080229

OSS を選択するということは一つの投資なのではないだろうか。


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投資したプロダクトからリターンを得たければ、さまざまな形でそのプロダクトに関わっていく(経営参画する)ことで、自分の思う方向に変えることも可能だ。
共通していえるのは、製品やサービスの選択肢が広がったぶん、コンシューマもサプライヤを盲目的に信じるのではなく、自分の目で見て、考えて選択しなければならない時代になった、ということなのだ。

盲目的で自分の眼を持っていないことが一番危ない、そう思いますよ、ホント。
誰かが言ったから、誰かが使っているから、ではなく自分で使えそうなのか?自分のチームで使えるのか?
長期的に安定していきそうなのか?がとても大事。


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OSSだけでなく商用ソフトウェアでもそういう眼を養って先行投資すること、そして情報発信することが重要です。


上記で述べられていることはすごい同感。ただ、気になるのは、どれだけの人が「自分の目」をもって「選択できる自由」を行使していけるのか、もしくは、する気があるのかというのは非常に個人的には気になる所だ。


ぶっちゃけ、人に判断を任せる方が楽だし、判断に誤った場合でも


「雑誌にもいいって書いてあったじゃないですか?みんな失敗しているのでやもえないんですよ」


とか言って逃げることもできてしまう。


「選択する自由」は当然ながら「選択する責任」と対になっている。「リターン」を取るためには当然「リスク」を取っていかなければならないのだが、実際にFWやOSSの採用の判定をするITAやPMがどこまで「リスク」を理解し適切なジャッジできるかというと疑問を感じる。


最終的には、「リスク」をとって「選択できる自由」を行使していける人が勝つとは思うのだが、そこへの道のりはまだまだ遠いんじゃないかと思う今日この頃です。


補足:
「リスクを取る」≒「ある程度の損失は被る」であり、減点方式の職場環境なんかだと厳しいんだろうとかそういった話です。評価者にも「リターン」と「リスク」と「判断者の目利き能力」が認識できなければならないと思うのですが、そういった評価者が主流の会社がどれだけあるかといった懸念で、最終的には変っていくとは思っているのですが、それには多大な時間を要するのではないかといった意見です。


ただ、「選択できる自由」を行使しなくていいと思っているわけではありません。「選択できる自由」を行使しようと思う人は、それができる環境に行く OR その意義を説明し足を引っ張られないようにする(社内政治?)等々、本来注力する以外のところにもコストをかける必要があるのではないかといった感想です。